ホークスファン歴
南海時代。
池田高校の畠山準投手が、南海ホークスに入団した頃から。
ホークスを応援するようになったきっかけ
元々、親に買ってもらった野球帽が阪急ブレーブスの帽子だったので、阪急を応援してたが、なぜか感情移入できずに…。
南海のチームカラーの緑が好きだったこと、郷里の池田高校から畠山投手が南海に入団してたこと、あと、幼少の頃から「判官びいき」の気質があったため、当時は最下位の常連だった南海を応援しようと思って応援し始めたら、気がつけば大ファンになってた。

                

好きな選手
ホークスというチームが好きなので、ホークスの選手は全員応援しています。
ホークスを応援するために必要なものは?
もちろん、チケット!って、これは冗談として…(笑)
やっぱり、情熱かな。自分の応援で勝たせるんだという心意気。どんな時も、選手を暖かく見守ること。
汚い野次を飛ばしたり、メガホンを投げつけたりする輩は、球場に行く資格無し。
ファンになって、最も嬉しかったことと、最も悲しかったこと

<悲しかったこと>
1.今だから話せるけど、南海ホークスの消滅はつらかった。身売りするだけでなく、大阪から九州にホークスが行ってしまうなんて…。当時はまだ高校生で、徳島県在住でしたが、福岡は地理的にも遠い印象を持ってました。門田も移籍するし、ホークスファンやめようとも思った。
2.チームの低迷によって、暴徒化したファンがいたこと。生卵事件は非常に悲しく、情けなかった。

<嬉しかったこと>
1.ホークスが常勝球団になってくれたこと。万年最下位の頃を思うと、感慨深い…。
2.球場やチャット、掲示板を通じて、たくさんのホークスファンの仲間と出会えたこと!
一番感動した試合
1999年9月の、ダイエー初優勝を決めた試合。長年ホークスファンを続けてきて、報われた瞬間でした。
小久保や城島の号泣も、印象に残ってるなぁ…。

引退or移籍した選手で一番好きだった選手

門田博光 選手
南海ホークスの低迷期を支えた、不動の4番。
若手時代に当時の野村監督からフォームの改造を提案されたが、受け付けずに、自分の信条であるフルスイングを貫き通して日本を代表するスラッガーに。また、アキレス腱断裂から見事復活し、四十歳を超えて本塁打王を獲得したことには、尊敬の念しかない。
ホークスの身売り・福岡移転に伴いオリックスに移籍したが、「最後はホークスで現役を終えたい」とホークスに戻ってきてくれた時は嬉しかった。速球にバットが振り遅れたり、もうすでに全盛期の力はなかったが、ホークス・門田の打席を見れるだけでも良かった。

畠山準 選手
自分がホークスファンになるきっかけになったのが、この選手。
蔦文也監督率いる「やまびこ打線」池田高校の4番打者兼エースとして活躍、夏の甲子園優勝投手に。
ドラフトの結果、南海ホークスに入団。先発ローテに入り、阪急戦で完封勝利を飾ったこともあったが、投手としては実力を発揮できず、野手に転向。俊足で長打力もあり、打者として期待されたが、レギュラー獲得はできず、結局ホークスでは鳴かず飛ばずだったのが残念。
しかし、大洋に移籍してようやく開花し、横浜ベイスターズの主軸打者として活躍。オールスターにも出場できたのは嬉しかった。いつだったかのオールスターで、TV中継のゲストの田渕氏が、畠山に「ダイエー監督時代に、君を放出しちゃって、かなり後悔してる」と語っていたのは印象深い。
選手とプライベートで会ったこと
現役の選手は、まだありません。
が、OBの方にサインは頂きました!
優勝したらどうする?
仲間達と朝まで騒ぐ!
日本シリーズで対決したいセ・リーグのチーム
東京ヤクルトスワローズ。
父が国鉄時代からの大ファンで、その影響で自分も小学生時代からファン。

今ないもので欲しいorあったらいいなと思う応援グッズ
南海ホークスのメガホン、法被。

管理人にとってホークスとは
もはや、生活の一部。

<簡易プロフィール>

[名前]
Seishiro
団長
(…その他諸々。時と場合によって変わる)

[住居]
兵庫県

[性別]


[趣味]
ホークスの他、セ・リーグでは東京ヤクルトスワローズのファン。
野球観戦以外では、デジカメでの風景写真等の撮影が趣味です。
こちらのサイトも宜しくお願いします)


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